また罹るのかもと思うと無理はできない

肺が弱い家系なのかもしれません。

母方の祖父は肺結核を患っていました。

常に特徴のある痰咳をしている状態だったんですよね。

 

わたしが初めて肺炎ぽいものにかかったのは、小学校中学年の時。

かかりはじめの症状とかは覚えていませんが、激しい咳き込み。

肺というか胃の腑が裏返る様な、しかもしつこい咳でした。

 

でも、わたしがこの病気の特徴として一番自覚した事は、夕方から高熱になるという事でした。

38度以上、上がってしまうんですね。

それが翌朝になると平熱くらいに下がり、身体が楽に感じられるため、

ハイテンションで機嫌よく話をしたり、振る舞うんです。

これが数日間続いたものですから、妙なものだ、と思っていました。

 

そういう日々の繰り返しから、身体は疲弊し、顔はげそっと痩せて、

一番嫌だったのは目の下のくまです。

これくらいの年齢って、顔の事には神経質になりますよね。

それが、肺炎にかかってから以降は、青白い顔にくま、という人相になってしまい、

鏡をみるたび憂鬱になりました

(これは後日、クラスメイトからも度々指摘された)

 

とりあえず熱が上がらなくなってきた頃、

「これで大丈夫」と一番母親が安堵していた様に思います。

それくらい危険な状況をさまよっていたからですね。

 

ただ、胸に鉛を乗せられてる様な、しつこい咳はそうすぐに引かない。

痰のからむ、強い咳をずっとし続けていましたね。

子供だったから、体力の回復は目覚ましかったし、

少し良くなると元気に笑えるんだけど、咳笑いで、これが非常に苦しい。

食も細くなったと思います。

食べたいのは山々でも、たくさん胃に入れると胸が詰まる様に苦しいですから、

食べるのはほんとう辛かったですね。

 

この肺炎にかかった後、この身体に負担をかけては駄目なのだ、と、

身体との約束が出来てしまったみたい。

運動中に走るのでも、思いっ切り全力で走ろうとも、

どこかストッパーが効いてしまう、というか。

人よりは走れない、という自覚がある。

 

やがて20才を過ぎ、フリーターでバイトをする様になった頃。

そこの職場は、一言ではあらわしきれない複雑な人間模様もあったけど、

仕事は仕事と割り切って、張り切って取り組んでる自分もいました。

 

しかし、ほんの少し重要な仕事を任されて責任がのしかかって来た、

その後、胸痛が起こりました。

それで、よく分からないうちに、また重い風邪というか、恐らく肺炎を引き起こしかけていたと思います。

 

寝ても起きても、身が切れそうに咳き込んで、睡眠時間は削られ、遂にバイトを休止。

悔しいというか、「なんで?こんな時に・・・」

それしか、浮かばなかった。

 

何年か後に、今度は母が肺炎を起こした時、

初めて熱にうかされる人を見たというか。

なぜか祖父をはじめ、皆この家の人は病院に行きたがらない、

自然治癒を使命とさえ思ってるところがあって。

 

でも、この時、母の病状を見ている方は怖かった。

強がりながらも、熱にうかされふらふら、トイレへ立って行き、出てきたら転倒。

症状が出る1週間前とかに、重たい荷物を持って姉の家に行ったりしてましたね。

それがこたえたのか…。

 

肺炎家系、という言い方も変だけれど、

ある独特の弱さみたいなものを背負ってしまったのかな、くらいには思っています。

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